古来、人間は「紙」という静かな媒体とともに進化してきました。手に触れ、筆を走らせ、思考を刻む――その行為そのものが、人間の知の営みを形づくってきたのだろうと思います。しかし時代は進み、紙は機械に置き換えられ、効率と利便性の名のもとにデジタルが主流となりました。さらには、紙は環境を損なう存在だとすら言われるようになりました。それでも、なぜ紙はこれほどまでに心に残るのでしょうか。かつて北欧では教育のデジタル化が先進的に進められましたが、結果として学力の低下を招き、再び紙の教科書へと回帰したという事実があります。これは単なる懐古ではなく、「学ぶ」という行為の本質に関わる問題なのかもしれません。紙に書くという行為。筆記具を握り、自らの手で言葉を刻むというプロセス。それは長い歴史の中で人間に深く根付き、もはや本能に近いレベルで必要とされているのではないか――そんな気さえします。最近、自身はあえてすべてを紙と万年筆に戻しました。不思議なことに、記憶の定着が明らかに違います。書くという単純な行為が、最も効率的で確かな方法であることを、改めて実感しているところです。もちろん、すべてを紙にする必要はなく、契約書や法的書類のように「記録」としての正確性や検索性が求められるものはデジタルで十分でしょう。ですが、「覚える」「考える」「理解する」という行為においては、紙に勝るものは、まだ見つかっていない気がします。
